院長 佃 隆
7歳の時の大きな事故
わたくし、院長佃隆は7歳の時に事故で金属バットで頭を打ちました。
以後、成長期の11年間、いつも姿勢が悪く、腰痛、頚部痛、背部痛、寝違い、肩こり、膝痛、体調不良、失禁、不眠、アトピー皮膚炎、のぼせ、野球肘、股関 節亜脱臼、顎関節症、ひどい車酔いなど様々な症状を経験してきました。
カイロプラクティックとの出会い
でも、カイロプラクティックに出会ったおかげで今では全ての症状と別れを告げました。
中学3年生の頃には、ちょっとランニングしているだけでもつまずいてしまい、頭がぼーっとする時間が長くなり、夜眠れなくなり、成績もガタ落ちで、中学を卒業したら6年制の中高一貫高校を辞めることも考えていました。
中学3年生の秋に、知り合いの方がカイロプラクティックの施術を始められ、受けてみると、それまでいつも重だるかった首がすっきりとしたのです。
それからしばらく施術を受け、調子がよかったのですが、なんとなく間があいていました。
高校3年生のセンター試験前日に、三重県津市のリージョンプラザという図書館で立ち上がろうとした時に、ぎっくり腰になりました。
私立文系だっということもあり、センター試験(現、大学入学共通テスト)は受けなかったのでよかったのですが、それから2週間接骨院で電気を当てる日々に。
しかし治らない。
座ることも歩くこともままならず、腰痛が長引いてしまいました。
当初はWHO(世界保健機関)や国連で働く、又はアナウンサーになるのが夢で、標準語を身につけるためにも東京での進学を考えていました。
今年の受験は諦めるかと思っていましたが、そうだ、カイロプラクティックの先生なら治してもらえるかもしれないと思ってお願いしたら、1回の治療で腰が痛みなく動くようになり、受験することができました。
結果的に三鷹のICU(国際基督教大学)に入学しました。
学生アルバムや写真部、アメフト部(1年間のみ)、スペイン語などのサークル活動を楽しみ、アルバイト、演劇、海外旅行、社会学ゼミなどを楽しみました。
東京の先生を紹介していただいたのが、現在は妻でもある美香先生(旧姓梅﨑)でした。
体を鍛えるためにと思って入ったアメフト部が予想以上に大変で、鍛える前に怪我の方が目立つようになり、結果的にアメフト部を1年の終わりに辞め、以後も怪我治療のためにカイロプラクティック通院を続けましたが、ほどなくして体調もよくなったので通院をストップしました。
進路を考えるに当たり、大学3年生の冬には、コンサルティングの会社に入ろうと思うようになりましたが就職活動をするのにも帰省代ももったいないと思うぐらいの状況でした。
京王プラザホテルで清掃やベッドメイキング、整骨院でマッサージのアルバイトをしていましたが、自身の腰がまた痛くなってきました。
そこに、カイロプラクティックの再通院を促すクーポン付きの年賀状をいただき、1年半ぶりに通院すると、それまでは30分程度かかっていた治療がものの数分で終わり、しかもスッキリ感が1年半前と全く異なるのです。
これは、技術がすごいか、美香先生の努力がすごいか、その両方かと思い、カイロプラクティックの勉強を始めました。
学ぶ中で、カイロプラクティックの奥深さを目の当たりにし、それまでは海外や大企業での活躍に目が向いていましたが、世界を良くするには身近な家族、友人の健康づくりのお手伝いをすることこそが平和への1歩と考えました。
その頃になって自分がいかに重症だったかということにもようやく気付き、自己体験を活かせる仕事だと気づき、カイロプラクティックに人生を捧げることを決めました。
24時間フル稼働の治療期間
苦労はしました。
ICU4年生の時に店舗を借りて、開業をしたものの、カイロプラクティックの学校の勉強、インターン、ICUの授業、卒論、実家の三重への出張治療などで24時間フル稼働しました。
ICU(国際基督教大学)を卒業後、2820時間(6年間)かけてオーストラリア公立マードック大学健康科学学部、カイロプラクティック学科を卒業(2005年)し、健康科学学士(カイロプラクティック)の学位を取得しました。このカリキュラムは、WHO(世界保健機構/World Health Organization)が認定してるWFC(世界カイロプラクティック連合/World Federation of Chiropractic)定める国際基準のカイロプラクティック教育の要件を満たしております。
下記マードック大学カイロプラクティック学科のカリキュラムを修了し、卒業証書を授与しました。
解剖学 / 生化学 / 生理学 / 病理学 / 生体力学 / 放射線学 / 識別診断 / 公衆衛生学 / 臨床栄養学 / 臨床診断学 / 患者管理学 / カイロプラクティック原理 / 整形外科学 / 神経学 / 臨床実践学ⅠⅡⅢⅣⅤⅥ / 頭部・頚部ケア / 胸部・腰部・骨盤部ケア / 肩・肘・手首・手のケア / 股関節・膝・足首・足のケア / 記録保持・品質保証 / リサーチメソッド
大学卒業後も国内、海外での研修を受け、最新の知識、技術の習得を続けております。
カイロプラクターとなって年を経て(年現在)
副院長の佃美香先生が品川で1993年に開院、院長の佃隆が1999年に三鷹に開業し、それぞれ15万人以上、合わせて30万人以上の治療をしてまいりました。ようやく私たち夫婦カイロプラクターの目指す形がはっきりしました。自身が健康で、家族を大切にします。そして、赤ちゃんや妊婦さんからご高齢の方まで世代を超えて家族みんなの健康をサポートいたします。
カイロプラクティックケアを受けていただくことで、あなたが家族との時間、仕事、趣味、旅行、ボランティアなど、やりたいことにエネルギーを注げるようにお手伝いができたらうれしいと思っています。
この考えに至り、実践するまでにいろんな試行錯誤、困難はありました。
電子カルテシステムを導入してオンライン予約を可能にしたり、クライアントのみなさまと24時間連絡が取れるようにチャットワークのシステムを導入したり、多くの業務の中でも手の空いているスタッフが迅速に電話に出られるようにトビラフォンを導入したり、コンサルタントが実践する問題解決を学んだり、当院のシステムを全国の治療家の先生に公開してフィードバックをもらったり、アメリカ、カナダ、オーストラリアのカイロプラクティックの学会に参加したり、先輩のカイロプラクティック院を見学させてもらったりしました。
そのたびに、スタッフと協議を重ね、少しずつの改善を積み重ねてまいりました。
開院当初から私の思いは何一つ変わりません。アットホームな雰囲気を大切に、目の前のお1人お1人にカイロプラクティックを通じて元気になっていただくということです。
あなたのお役に立てるのが私の喜びです。ご相談などありましたら、お気軽にどうぞ。
副院長 佃 美香(旧姓 梅﨑美香)
ママカイロプラクターだからわかる、女性の気持ち。お気軽にご相談ください。
1993年、この道に足を踏み入れた当時、私自身の家族を元気にすることが大事だと思い、家族へのケアを目指してしっかりやってきました。
現在、0歳~100歳までのケアを志し、実行できている自分がいることを誇らしく思います。
「一生懸命」がモットーでやってきたこの年。
最初の紹介患者さん1人目であり、患者→後輩→同僚となり生涯のパートナーになったカイロプラクターである夫にも支えてもらいながら今があることにも感謝します。
カイロプラクターになりたいと、4歳から宣言してくれている我が子も含め、家族一丸となって皆さまの健康のお手伝いをしていきたいと存じます。
産後のママのケアも大変重要になります。
抱っこによる手首の腱鞘炎・腰痛・肩こり。
寝不足など子育ては想像以上に体力を使います。
それはそのままメンタル面にも反映されます。
気持ちが不安定だと大切な家族にしかめっ面になってしまいます。
そんな顔を家族に向けたいママがいますでしょうか?
赤ちゃんのいつもそばにいるママにはいつも笑顔で赤ちゃんにおっぱいをあげて、優しい子守唄を歌いたい。
それが多くのママの理想です。
そのためにも、疲労回復は必至です。
産後ケアをしっかりしておくことで、ママの疲れがなく元気で家族にいつも笑顔で接せられるそんな環境をつくるお手伝いをしたいのです。